〜 桜の花と青い春 〜


 いろいろなものが新たなすたーとを切る4月。
ここは神奈川との県境にほど近いとある街、若葉町。
 場所、人、役割と、様々な変化が起こるこの季節、特に学校という場所は、そんな変化に不安とそれより大きな期待を抱いた生徒たちの活気に満ちている。
ここ、私立若葉福祉大学付属視覚特別支援学校もそうだった。

 まるで入学式を祝うかのように満開となった桜の薄桃色は、澄み切った空の青によく似合う。
その並木の下の校門を新1年生たちと一緒にくぐった小鷹愛は、今学生寮の廊下をクラスメイトの女子二人と一緒に歩いていた。
 入学式だけで下校となったこの日、寮の対面式と新入生オリエンテーションを終えて、少し遅めの昼食を調達に購買にむかいながら寮の中を探検していたところを拾われた。
転校生とはいえ、新入生同然の愛は前日の入寮ができず、荷物だけ前の日置きにここを訪れている。その時紹介されたクラスメイトの女子、皐月優奈と戸崎梓。さすがにその時はお互いが猫をかぶっておとなしくしていたものの、この数時間でそれはすっかり脱ぎ捨てられたらしい。
聞けば、二人も愛同様に先天性眼病を持っていたが、地元の普通校に通い、視力の低下や病状の悪化をきっかけとする紆余曲折を経てこの学校へやってきたらしい。
女子特有の会話術はもちろん、そんな環境の近さから来る親近感のおかげで、もうすっかり打ち解けた3人組の構図になっている。
 幸い食堂のランチタイムは終わっていなかったらしく、ちょうどラッシュを過ぎて人もまばらというラッキーなタイミングで昼食にありつけた。
朝晩は決まったメニューが出されるが、休日の昼は学校の購買部の食堂と同様にいろいろ選ぶことができる。盲学校らしく拡大文字や点字のメニューが備えてある徹底振りに愛はとても感動したようだ。いっそ街の中がそうだと楽なのに、と思うものの、簡単にできるなら苦労しないさと二人は苦笑する。
 本日のメニューはたらこスパゲティーとポテトとからあげの盛り合わせ、そしてウーロン茶。ファミレスメニューに近いが学食料金で格安なのがなんとも贅沢だとちょっと幸せを感じた愛であった。
 「う〜、さすが都会の私立…。」
 「まぁ、ここは東京でもかなり田舎のほうに入るけどね」
 いわく「いつもの」メニューキムチラーメンをすすりながら梓が言う。
 「愛ちゃん、仙台だっけ? 都会じゃん」
 「中心部はね。うちの実家の周り、車使わないとなかなか大変だよ。自転車に乗ってた時は地下鉄の駅まですぐ行けたけど、バスに乗るならタイミング悪いと1時間くらい待つし」
 「どの辺り?」
 「ん〜、青葉区と泉区の境目っていうのかな…。知覚に科学館があってね、よくいろんな学校の自主研修スポットになってるけど」
 そんなローカルな目印を言われてもわかるはずもなく、二人が首をかしげるのが雰囲気でわかった。
 「あたし、福島の『ド』がつく田舎にいたんだけど、ぶっちゃけバスもないよ」
 「うん。この前行ったけど、本当すごかった…。」
 少々うらめしげに言う梓に同意した優奈が軽くどつかれた表紙にきつねうどんについてきた蓮華がテーブルに転がった。ちなみに優奈は宇都宮から来たらしい。 
掘り下げると危険と思ったところで優奈がポンと手を打った。
「バスと言えば、この近くに駅のほうに行くバス停があるんだけど、散歩がてら行ってみる? すぐそこにちょっとおもしろいお店もあるし」
 「行く〜。」

   *   *   *   *   *   *

 と、軽いノリで外出することにしたものの、そこそこ視力が残っているとはいえ、新入生の愛を強度弱視とほぼ全盲の二人でサポートするのは危険きわまりない。
と、いうわけでもう一人が呼び出された。
 梓がほぼ強制的に誘い出したもう一人のクラスメイト川島寮。クラスの中で唯一の男子なのは見ての通りだが、この若葉盲の中学部を卒業し、その前は八王子盲学校の小学生だった。
視力のいい(ほうに入る)彼が愛の介助役というわけだ。
優奈と梓はその二人の後ろから、並んで腕を組み、お互いの死角ではなく、自分の死角にあたる部分をカバーするように杖で前と横を辿っている。その歩行スタイルはかなり異様なものなのだそうだ。
本来、介添え…、俗に言う手引きというものは、一人が半歩前を歩きガイドする。あるいはガイドの真後ろについた状態を取る。しかし死角が大きい二人では、一人分の幅を確認するのも大変である。かといって1列に縦に並ぶと会話が届きにくい上、つかえたり足をふんだりして歩きにくいことこの上ない。
それならばいっそ、「周りにはちょっと迷惑かもしれないけど横に並びます」を決め込んだほうが楽なのだ。しかも、お互いの死角を補うのではなく、自分の死角になる部分に対し白い杖を使って辿ることで自己責任のもと通路確保する。誰だって足や腕をアザだらけにはしたくないわけだから、慎重になる。と、案外型破りなそれが有効に生かされているのはおもしろい。
 二人の歩行訓練歴は梓でまだ半年ちょっとだと言うが、危なっかしいながらしっかり歩いているのが愛には少しうらやましい。
 「ねぇ、涼君、あの白い杖ってみんな持ってるの?」
 自分もそうやって、以前のように気ままに歩けるようになるのかもしれないと期待をこめて質問する愛に対し、涼は衛星を中継したテレビ電話のように、愛の放すリズムとちょっとずれたタイミングで答える。
 「ん〜、まぁ…。あいつらはかなり見えてないほうだし、俺はけっこう見えてるほうだし…。」
 なんだか答えてほしい部分と違うような、なんとなく納得しないでもないような…。
しかし、その回答に対してさらにどう切り返すべきか愛は思いつくことができず、二人はそれきり沈黙していた。

 歩道のない住宅地の中を10分もいかないうちに、片側2車線の大通りにぶつかる。停留所はその目と鼻の先にあった。
 「まぁ、歩行訓練が始まれば嫌でも覚えなきゃないから、今しっかり覚えておかなくても大丈夫だから」
 「と、軽い口調で優奈が言う。
 そして方向を転じて住宅街の中の、来た道とは違う小さな路地にる直前…。
さっきの愛の淡い期待を打ち破るような出来事が起きた。
 「ギャァッ!!」
 と、静かな住宅街に響く絶叫…。あわてて振り返った愛と涼は、優奈が梓を巻き込んで派手に転んだらしい現場を見た。
 「はっ、白杖が金網に…っ」
どうやら優奈の杖が側溝の金網に引っかかったらしい。それがブレーキになって梓を引っ張り、後ろに倒れた。といったところか…。
 「もぉっ!! 転ぶ時は手ぇ放せって言ってるでしょっ!!!」
 「そんな反射神経持ってないってば」
 「だったら転ばないように歩っきなさいっ!!」
 「そっちこそ、ぐいぐいこっちに寄って来すぎっ!! ぶつかるって〜のっ!!」
 お互いに言いたいことを言うと、何事も無かったかのようにスターティングポジションに戻る。涼のほうも何事もなかったように歩き出す。このやりとりが日常茶飯事だということがよくわかる。
転入初日早々彼らの素の部分を見てしまったような複雑な気分だった。


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