〜 春の足音 〜


 神奈川県横浜市。とある盲導犬訓練センターの研修室にて…。
 「どうも、お待たせして申し訳ありません」
 あわただしい様子で扉を開けた青年は、少し息を切らして来客が座るテーブルまでやって来る。
 「お忙しいところすみません。いやぁ、お互い年度末は大変ですね」
 苦笑を返す男。名前は麻倉衛(あさくら まもる)。55歳。若葉長にある二つの学校の現理事長である。
向かい合っている椅子を引く音に足元の黒い影がブルブルと首をふった。
盲導犬アーシア。先代の盲導犬クロフが病気によりやむなく引退。半年のブランクを経てようやく麻倉の元にやってきた少し尻尾が長い黒ラブの女の子だ。
今やってきた青年…、訓練士藤宮アヤ(ふじみや あや)の指導の後、めでたく2週間前にユニットとなって卒業した。
 「どうですか。ハーネスの間隔は戻ってきましたか?」
 「そりゃもう快適ですよ。やっぱり盲導犬で歩く楽しさを味わっちゃうとブランクの間暇で暇で…。アーシィはクロと違っておてんばだから、毎日もうおかしくて仕方ない」
 「そうですね…。こいつのおてんばについていけるの、麻倉さんくらいですよ。きっと」
 訓練時代の数々のエピソードを思い出し、二人はしばし笑いあった。
 そして麻倉が改まったように一息、藤宮も背筋を伸ばした。部屋の中が一気に「超重要事項」を話し合う空気になった。

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