大1話  現代の神隠し

Peace


 東京都新宿区。
 地球何度目かの大変革のあの時から2年と半分ほどが過ぎていた。
日本の首都であるここ東京の、さらに中心を担うこの街は、眩しいくらいの活気に満ちている。
陽光を反射する各企業のオフィス、賑やかな音楽と共に流行の最先端を飾るショウウィンドウ、それらの合間を早足で行きかう人々…。そこにはいつもと変らない都会の風景が広がっている。
 だが、その影に潜む「黒き獣」の存在を、果たしてどれだけの人間が知っているのだろう…。



 新宿駅の西側、片側4車線のメインストリートをいくらか入ったところにある小さな喫茶店。「彼ら」がいるのはそんなどこにでもある「普通」の街角だった。
若者を中心に人気を集めるこの喫茶店「Peace」 は、全てが手作りのメニューとオリジナルブレンドの飲み物が自慢だった。
 そしてそこで働く個性豊かな店員たちも、人気の一つ…。
 少し中を覗いてみよう。

 店に入ってすぐ目に入るレジにかかりきりの青年、藤宮アヤ。
背中の中ほどまで伸ばした黒髪を緩く編んでいる。店員たちの動きに目を光らせる店長の彼は、黙っていれば文句なしの美男子なのだが、色事に全く興味のない冷めきった態度にアタックをかけようとする女性は誰もが早い段階でドロップアウトしていく。
 沈着冷静さではそんなアヤに引け劣らない手塚国光。
眼鏡の奥から見つめる視線だけで対象がフリーズするようなするどさと、暇さえあれば本に没頭している近寄りがたい雰囲気は一種威容に思えるが…、だが彼のブレンドコーヒーには定評がある。
見かけによらず勝負ごとに熱いとは、お客たちが知るはずもないが…。
 対照的にフロアは賑やかだ。
 女性客の人気をほぼ独占しているのが不二修介。
 一見女の子かと思うほどの美青年は、いつもやわらかな微笑みで人と接する。暖かいその人柄も相まって、お客たちの間では「プリンス」と呼ばれているらしい。
どんなお茶やお菓子より、彼の「不二君スマイル」に癒やしを求めてやってくる者は少なくないはずだ。
その笑顔でもって、実は非常に毒のある言葉を吐いたりするとは誰も想像しないだろう。まして闇魔術のプロだというのだから、つくづく人は見かけによらないものだ。
 一方で男性客に人気なのが葉月悠里。
 長く伸ばしたブロンドの髪は仕事の間は首の後ろで束ねてある。女子としては長身に入り、整った顔立ちに明るいグリーンの瞳を持つ。イギリスから来日して9年目になるらしい。
明るくムードメーカー的存在で、彼女の周りは笑いが絶えない。
やはりその裏で銃器を操るプロだなどと誰も想像しないだろう。加えて超一流の魔術師である彼女は、仲間たちに一目置かれる存在である。
 そんなアイドルにはさまれている少年、如月広樹。
 小柄で童顔のために少々幼く見えるが、顔がかわいいと意外とファンが多い。
口は悪いが仲間思いの優しい奴で、アウトドア大好きな野生児だ。
 カウンターの中の人間も忘れてはいけない。
 その中心で指揮を取るのが刹那こと高岡明良。
「刹那」という名前で役者業も行う彼女を、仲間たちはみなこの愛称で呼ぶ。
 ショートヘアのボーイッシュ娘で、実質このメンバーのリーダー的存在である。実力も行動力も誰もが認めるリーダーの名に恥じない人物だ。彼女のブレンドティーは店の看板商品の一つである。
 そんな刹那の自称助手、水無月利恵。
 ポニーテールがトレードマークの現役高校生。ちょっとドジっ子だが、そこがまたかわいい妹分。
情報戦のプロで、普段の言動とは裏腹にプランナーとして才覚を発揮する。
 そして、利恵の同級生で親友の柳一樹。
 日英ハーフの彼は理論とメカニックに精通する。手先が器用で創作は得意だが、料理はちょっと苦手らしい。
頭脳明晰なアイディアマンの彼のおかげで、生存競争が激しいこの街で、店は安定したと言ってもいいだろう。

 そんな一風変ったところがある連中がここに集うのは、ただの生活費確保とは違う事情がある。
 午後8時20分を過ぎ、今日一日の仕事を全て終えた3人娘がお茶をかこんで話に夢中になっていた。
のだが…。
 「…水無月」
 そのたった一言がその場を冷凍庫に変えてしまった…。
 国光が手にしていたのは、さっきまで利恵が整理していた伝票の控えのノートだった。その指先を見て利恵は絶句する。
見事、一マスずつずれた表がそこにあった。
 「すっ、すみません…。」
 「ちゃんと直しておけ。データに落とす時混乱するぞ」
 半ばあきれ口調でそういい残し、国光は修介と共に家路につく。
 「…あぁ、ビックリした」
 「…うん」
 それらやり取りを目の前で見ることになった悠里と刹那が脱力する。
利恵はというと、緊張が解けた反動でドサリとソファーに落ちて、憂鬱そうにノートを見つめ、それからぶつぶつ独り言を言いながら新しいページに表を作り直しにかかった。
 レジスターがあるとはいえ、バーーコードで処理できるファーストフードなどと違い、所詮街角の喫茶店であるここは勘定管理は人間の手でしなければならない。
もちろんそれらは後からデータ化され、週ごと、月ごとに集計される。台帳は万が一の時のための予備記録として大事に保管することになっている。
慎重にページをめくりながらすごい形相で作業するその姿は見ていてちょっとおかしくもあり、哀れでもある。が、当番である以上しっかりやってもらわないと困るので、悠里も刹那も心を鬼にして雑談に戻った。
 一部始終を見ていた男子たちはそんな女子の気遣いを無視してからかう。
 「全く、そんなんだからいつまでもドジっ子の称号がついたままなんだろ」
 「まだまだだね」
 そんな男子たちに向かって刹那は「自分たちのミスを無くしてから言いなさい」と切り返す。まぁ、最もな反論だろう。
 やれやれと肩をすくめ、刹那は時計に目をやった。そろそろ8時半になろうとしている。
その視線を辿って時計を見上げた悠里が継ぎの行動に移る準備とばかりに大きく伸びをした。
 「ミッションかぁ…。2ヶ月ぶりくらいかな? この前も大して大事じゃなかったし、腕、なまっちゃうわ」
 「悠里っ!」
 「別に誰が聞いてるわけでもなし、神経質すぎるとハゲるわよ〜?」
 ミッションという単語に過剰反応する刹那を軽く交わしてカップを片付けに立ち上がる。その背中に顔をしかめて見せるが、言葉の替わりにため息が出た。
確かに身内しかいない、ホームグラウンドの真ん中だが、心がけは常にあってこそいざという時につながる。悠里は時々慎重さに欠けると刹那は思っていた。
 ―第一、そのせいで前にとんでもない失態をやらかしたのはあんたでしょうが…。
と思うのだが、こればかりは本人が自覚してくれなければ意味がない。
 そんなリーダーの悩みなど知る余地もなく、悠里は男子たちと会話を続けていた。
 「わかんないよ? 案外ものすごい難事件で、調査に手間取って指令が出せなかったのかもしれないし」
 「台風直撃? 被害が出ない程度の雨ならありがたいけど」
 という言葉が不本意ながら聞こえてしまった刹那は「そんな裏組織が奮闘しなきゃならない大事件ばっかり頻発してたまるかっ!」 とツッコムべく口を開きかけるが、その前に別の言葉が割り込む。
 「嵐の前の静けさ、か…。」
 そして沈黙…。
 つぶやいたアヤの言葉は大きくなかったが、それが余計に重たい。めったにしゃべらない人間が冗談のつもりで言った言葉は、なぜか絶対笑えない…。アヤはそういう部類の人間だった。
 「あ、アヤが言うとなんか冗談に聞こえないよ…。」
 ねぇ? と悠里に同意を求める一樹。悠里は笑いとばそうとしたが顔がひきつってぎこちない。広樹は無言でうなずきながら身震いしていた。
 ―あぁ、もぉ…・
 このままペースを乱されてはたまらない。待ち合わせまであと1分半しかないのだ。
 刹那はパンパンと手を打って硬直している連中を動かす。そしてそれらの会話が一切耳に入っていなかったらしい利恵を促して自分も立ち上がったのだった。

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